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インターナショナルスクール卒業生としての目線


皆様、初めまして!

講師のMikiです。

今回の記事では、インターナショナルスクール卒業生としての目線で、私がどういった事を感じているのかをご紹介します。

1. 自己紹介

私は幼稚舎から高校卒業までの14年間、関東にあるインターナショナルスクールへ通い、国内の大学へ進学しました。現在は30代、子どもが一人います。

今回は私の14年間のインターナショナルスクールでの経験、感じたこと、価値観や人生に影響を与えていると感じられることをお伝えできればと思います。

Hope you enjoy reading my experiences!!!

2. インターナショナルスクール幼稚舎へ入園した経緯

私がまだ幼い頃、年上の親戚がインターナショナルスクールに通っており、英語習得の速さを目の当たりにした両親は、私にも同じように幼稚舎からインターナショナルスクールに入れようと決めたとのことでした。

幼稚舎から様々な国籍の子がおり、日本・韓国・中国などのアジア諸国はもちろん、インド・アメリカ・イギリスから来た子どももいました。

母語も、肌の色も、髪の毛の色も違うのが当たり前で、その中で共通言語として「英語」が存在しているような場所でした。

違っていて当たり前、そしてそれが「普通」でした。

3. インターナショナルスクールで重要だと感じた経験

小学校へ進級してからも、すでに毎日が異文化交流のような雰囲気の中、年に一度、「国際週間」というものがありました。

その1週間は、学校内に在籍している様々な国籍や文化的背景を持つ先生・生徒がそれぞれの国を紹介し、時には食べ物も楽しみます。

そして最終日には、自分の国籍ではない民族衣装を着て登園・登校します。

30代になった今でも一番思い出すのはこの行事で、日本にいながらも世界のことを知ることができた大変貴重な学びだったと感じます。このようなイベントも、インターならではないでしょうか。

また、前述しました「様々な国籍や文化的背景」ですが、ここも私にとってはとても大切な要素でした。

例えば、国籍が「日本」であっても、その人が慣れ親しんだ背景が「日本の文化」とは限りません。そしてその文化的背景は、アイデンティティーにとても関わると感じます。日本人国籍を有しながらも、心では違う国により近いと感じているかもしれません。

小さいうちに理解するには複雑なこのような事柄も、インターではとても間近で、自然と考えるようになりました。

「○○人なのだから」という、そのような前提がそもそも私の中で芽生えませんでした。
一人一人違って当たり前で、国籍というよりは相手は「人」です。大切な個人なのだと、当たり前に思っていました。

この感覚を持てたことは私にとって宝物です。そして、子どもにもそうであってほしいと感じ、今、同じようにインターナショナルスクールに通っています。

4. インターナショナルスクールの教員と「主体的である自分」

基本的に教員は皆イギリス・アメリカ・カナダから来た英語がネイティブの先生でしたが、インドやヨーロッパ諸国の方々もいらっしゃいました。

ですが、前述したように、「この先生は○○人だ」という感覚は不思議と当時もなく、国籍というよりはその先生そのものでした。

インターナショナルスクールは規模が大きなところはあまりないかと思いますので、自ずと少人数であり、個々の個性が非常に目立ちやすいです。

それは先生も一緒でした。
それはそれは、様々な個性人間性が滲み出る授業の数々でした。多感な時期の自分にはそれを受け止めるのが難しいこともありましたが、今になって思えば、なんて人間味溢れる人たちだったのだろう、最高に面白かったなと思います。

また、少人数のクラスでは先生と生徒がゆっくりと話し合いを進めていくことが出来ます。そうなると、自然とディベートのようになったり、自分の考えを相手に伝えることになります。

そこから、先生や他の生徒の意見や経験、思考、感情の深い部分を聞くことにも繋がっていきます。

このようなことは何もインターに限ったことではありませんが、私はこのような場が日常的にあったのはとても貴重なことだったと、大人になって改めて感じます。

「大人数のうちの一人」で過ぎ去る日常ではなく、「主体的である自分」だと感じられたからです。

そしてこう思えるようにしてくれたのは先生たちの温かさと指導技術があったからこそですね。感謝しています。

5. ちょっと脱線、「インターの子、ここが得意でここが苦手!!!」

さてここで真面目ではないお話を一つ。

私の同級生たちは、とても苦手なことがありました。
それは、都道府県と日本の都市名を覚えることでした。「宇都宮って埼玉県?」そんな会話をした覚えをもあります。位置もぼんやりしていました。

もちろん、これはあくまで一個人の経験であり、インター出身の子が全員そうではなく、国内の地理が好きで知っている子もいますし、授業で取り組まれている学校もあるかと思います。ただ、当時私の学校ではあまり都道府県の学びはありませんでした。

ですが、世界地理はと〜っても得意です。授業でとにかく取り組みます。国、地域、都市、お任せください。(私はちょっと苦手です…)

6. 同級生の進路とその後の繋がり

私の卒業時のクラス人数は30名と非常に少なかったですが、そのうちの約半数以上は海外の大学へと進学していきました。国籍に関係なく、大半はアメリカの大学で、一部アジアやイギリスがいたと記憶しています。

日本人や、日本で育ったバックグラウンドの人たちは、卒業後日本へ帰国して就職をする人もいれば、数年外国でキャリアを積んだ後に帰国して再就職というキャリアプランも見られ、まさに十人十色の進路です。

ちょうど私たちの頃からS N Sが普及し始め、卒業後もS N Sを通じて連絡を取り合っていました。世界中に散らばる同級生たちの動きを画面一つで知ることができ、大変な刺激を受けたのを覚えています。

同窓会も開催はされてはいるものの、外国にいる人も多く、全員が揃うのはこの先も不可能だろうとは思います。

そんな中でも「この国(都市)に行けばこの子に会える」という楽しみがあるのは、インターならではかもしれません。わざわざその同級生に会うために、旅行先を決めることも過去にはあり、そのような楽しみがあるのはとても貴重なことですね。

7. まとめ

ここまでお読みいただきありがとうございました。

お楽しみいただけましたでしょうか。

以上はあくまで私個人の経験、考えであり、インター全てには当てはまりません。ですが、少しでも皆様にインターの雰囲気や素晴らしさが伝わっていましたら幸いです。

それでは、またお会いしましょう!Talk to you again soon!



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