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シンガポールの名門インターUWC(United World College)卒業生によるUWC紹介(&体験談)


このページでは、シンガポールの名門インターUWC(United World College)の卒業生であるインターママ英会話の講師によるUWC経験談をご紹介します。
※名門インターナショナルスクールであり、全寮制のボーディングスクールとしても世界的に知られているUWCですが、シンガポール校は通学生もいる環境です

シンガポールのインターに興味をお持ちの方は、シンガポールのインターに自身の子供を通わせていたインターママ英会話の別の講師によるシンガポールのインター紹介記事も是非ご参考になさって下さい。

1. 自己紹介

私は約20年前にシンガポールのUnited World College of South East Asia(UWCSEA)というインターナショナルスクールを卒業しました。
奨学金を獲得し、単身でシンガポールに渡り、高校2~3年生の2年間在籍し、寮生活を送りました。ここではその2年間の経験をご紹介します。

2. United World Collegeについて

United World College(UWC)はイギリスカナダイタリアアメリカ香港ノルウェーオランダドイツインドシンガポールなど、世界各地に18のカレッジがあり(※2024年現在)、世界各国から選抜された高校生を国際感覚豊かな人材に育成することを目的とする国際的な民間教育機関です。

2017年には日本でもInternational School of Asia, Karuizawa(ISAK)がUWC ISAK Japanとして17番目のUWCカレッジとなりました。

3. 学生・教員の国籍比率

私が在籍していたUWCSEAの生徒構成は、約3割がイギリス人約3割がその他ヨーロッパ諸国約2割がアジア人約1割がオーストラリア人残り1割がアメリカやアフリカなどの生徒でした。

日本人は学年によりますが、私が在籍していたころは1学年に5~8名ほどで、私のような奨学生以外はほとんどが駐在員の子女でした。教員の割合は、当時約7割がイギリス人約2割がアメリカ人残りの約1割は英語以外の母国語(中国語、インドネシア語、フランス語、スペイン語など)を教える教員でした。

4. 寮生活

UWCSEAに在籍している大半は、駐在員や在シンガポールの外国人の子女で自宅から通学していましたが、約1割程度が奨学生や親元を離れて寮で生活する生徒でした。

寮生は男女別の棟で、それぞれ3~4人がトイレ・シャワー付きの1部屋で共同生活を行います。1年目の私のルームメイトはイタリア人、オーストラリア人、香港人、2年目はアルバニア人、イギリス人、香港人でした。

朝昼晩、寮のcanteen(食堂)でビュッフェ形式の食事をとります。基本的にはオリエンタルな食事でしたが、時々、Italian weekやJapanese weekといった各国の料理が提供されることもありました。Japanese weekでは、かっぱ巻きや唐揚げなどが出て、欧米の同級生たちはお箸の使い方に苦労していた思い出があります。

寮には、自販機やビリヤード台などがあるcommon room(談話室)寮生専用のlibraryPCルームもありました。週に1度は必ず寮生全員が集合するassembly(集会)があり、寮のイベントや連絡事項などが共有されます。寮には、教員でもあるhouse parents(寮父寮母)が日々、寮生の管理や生活指導を担当します。

洗濯は各自でlaundry roomの洗濯機と乾燥機を使います。平日は授業や課外活動で忙しいので、土日はかなり混んでおり、順番待ちが発生します。16—18歳の頃に親元を離れて、起きるのも寝るのも勉強するのも自分の裁量で、身の回りのことは自分で行わなければならないというのは、自立するには大変良い機会だったと思います。

5. 授業

私が在籍していたGrade 11—12はIB Diploma(国際バカロレア)カリキュラムを履修するため、授業は選択制で、生徒によって時間割が異なります。寮生は、それぞれの授業や空き時間に合わせて、キャンパスと寮を行き来します。

授業では、日本の学校のように黒板に先生が書いたことをそのままノートに転記したり、教科書を読んだり、暗記したりはしません。教科書は基本的に自宅で予習復習するためのもので、学校には持参しません。授業では予習した教科書の内容を元にディスカッションする形式でした。例えば、historyの授業では、第一次世界大戦の東部戦線でのロシアのドイツ進攻は正しかったのか、もし違う選択肢があればどう進攻するべきだったのか、そしてその結果はどうなっていたかなど、日本の歴史の授業とは全く異なるアプローチで、正解はありません

また、geographyの授業では、どのような工夫をすればriver erosion(川の浸食)を防ぐことができるのか、coastal management(沿岸管理)を効率的に行うためにどのようなstrategyを用いるべきか、などをクラスメイトとディスカッションします。geographyを履修している生徒のみ、週末にマレーシアのマラッカ海峡の測量に、泊まり込みでの課外授業もありました。シンガポールは自国の水資源が不足しており、消費する水の半分をマレーシアから輸入していることもあり、desalination plant(海水脱塩プラント)の開発に力を入れているため、そのプラント見学に行ったこともありました。

中学3年間は日本でいわゆる暗記教育を受けていましたので、この授業スタイルに慣れるまでに半年ほどかかりました。各科目で課せられる読書量が大変多く、授業前日に読み切るために徹夜もしばしばありました。ただ、私が身を持って言えることは、IB Diplomaで学んだ内容は20年経った今でも鮮明に記憶に残っているということです。

6. 放課後の活動

IB Diplomaの一環で、全生徒がactivities(部活動)やservice(奉仕活動)に携わる必要があり、それらの活動は15時以降の放課後に充てられます。

私は放課後にテニス部で練習をしたり、serviceでは週1回、シンガポールの老人ホームにてお手伝いをしたりしていました。強い部活のチームに所属する生徒は、近隣国(タイやベトナムなど)のインターナショナルスクールとの練習試合で、週末に海外遠征に行くこともあります。同級生の中には、タッチラグビーのイングランド代表選手になった人もいます。

また、年に一度UN (United Nations) Nightという、インターナショナルスクールならではのイベントがありました。UN Nightは、各国を代表し、生徒が主体となって、伝統舞踊や食事の屋台を出すお祭りイベントです。私も数名いた日本人の生徒と一緒に浴衣を着てソーラン節を踊りました。食事の屋台については、在シンガポールの日本食メーカーへ直接出向いて交渉し、スポンサーとして食材をご提供いただき、売上は寄付に回しました。日本の高校生で、一食品メーカーとこのような交渉をする機会はあまりないと思うので、大変いい経験ができたと思います。

7. 苦労した点

私のUWCSEAでの留学生活は多くの挑戦と苦労に満ちていました。以下に、その中でも特に印象に残っているエピソードを紹介します。

小学生の頃、親の仕事の都合で海外の現地校に通い、帰国後も英語力を維持するためにマンツーマンのレッスンを受けていました。そのため、高校留学でも英語での授業についていけるだろうと楽観していました。しかし、現実はそう甘くありませんでした。

入学初日の寮でのオリエンテーションでは、説明がほとんど理解できませんでした。教員であり寮の管理もしていた先生方がイギリス人で、(私が聞き慣れていた)アメリカ英語とは異なる発音や単語を使っていたため、言葉の違いに戸惑いました。さらに、そもそも何を言っているのかが理解できなかったことは大変衝撃的でした。

授業が始まってからは、膨大な量の読書を課され、辞書片手に徹夜で勉強する日々が続きました。当時はスマホもなく、インターネットは寮のPCルームでしか利用できませんでした。そのPCルームも23時に閉まり、以降はWi-Fiも使えない環境でしたので、アナログな勉強方法に頼らざるを得ませんでした。

非英語圏からの奨学生は、英語での生活や授業に苦労していました。しかし、先生方は非常に協力的で、放課後には勉強のサポートをしてくださったり、寮生を自宅に招いて料理を振る舞ってくださったりしました。16歳で親元を離れて暮らす中、そのようなサポートは大変心強いものでした

UWCSEAでは、先生と生徒が対等な立場であり、下の名前で呼び合うのが一般的でした。日本の教育環境とは大きく異なり、先生に対しても友達感覚で接することができました。この親しみやすさは、寮生活を送る上で非常に助かりました。特に、親元を離れて孤独を感じやすい状況で、先生が身近な存在であったことは心の支えとなりました。

8. 卒業後の進路

私が在籍していたUWCSEAでは、卒業後の進路は多岐にわたり、非常に優れたキャリアを築いている卒業生が多くいます。ここでは、日本からの奨学生や私の同期生の進路について詳しくご紹介します。

<日本からの奨学生の進路>
UWCSEAへの日本からの奨学生は毎年1名のみ選ばれていました。私が在籍していたときの日本人の奨学生は私一人だけでしたが、卒業後の進路として、私はカナダの国立大学へ進学しました。その後、日本に帰国して大手旅行会社に就職しました。奨学生として世界中のUWCへ留学した同期たちも、それぞれUniversity of Oxford(イギリス)、Brown University(アメリカ)や慶応義塾大学などへ進学し、三菱商事、三井物産、博報堂やボストンコンサルティンググループなどで働いています。

<日本人同級生の進路>
私の同級生であった駐在員の子女たちの進路も多岐にわたっています。8名のうち、4名がアメリカの大学へ進学し、残りの4名は帰国して京都大学、慶応義塾大学、国際基督教大学、上智大学など日本のトップ大学に進学しました。

<各国の同級生の進路>
UWCの国際的な環境の中で、他国からの同級生たちも多様な進路を歩んでいます。アルバニア人の親友はアルバニアに帰国後、アルバニアの国立大学で薬学を学び、現在は薬学部の准教授として教鞭をとっています。ケニア人とエチオピア人の友人たちは、アメリカの大学に奨学金で進学し、現在はそれぞれ薬剤師とNGO職員としてアメリカで働いています。メキシコ人の同級生も現在はアメリカに在住し、国連職員として活躍しています。

9. まとめ

インターナショナルスクールで学ぶことにより、英語だけでなく、異文化への理解と尊重の念を持つようになりました。特に、様々な国の学生と寮生活を通じて生活を共にする中で、お互いの文化や習慣の違いを尊重し合うことの重要性を学びました

インターナショナルスクールでの教育はこれらの異文化理解やリーダーシップ、そして自己成長を促す貴重なものであり、この経験は私の卒業後のキャリアにおいて大いに役立っています。

各国から集まった優れた友人たちと共に学び、成長したことは、私にとって一生の財産です。以上の私の経験が、海外留学や国内外問わずインターナショナルスクールへの進学を目指す方々の参考になれば幸いです。

冒頭でもお伝えしましたが、シンガポールのインターに興味をお持ちの方は、シンガポールのインターに自身の子供を通わせていたインターママ英会話の別の講師がご紹介している以下の記事もご参考になさって下さい。







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